2025/10/09 16:30
Guido Pellegrini。
先の買い付け訪れたフランスとイタリア。
どちらの国でも何度も名前を聞いたこちらのブランド。
recollectionとしても初めてのご紹介になります。
彼は、Stone IslandやC.P. Companyの創設者として知られるMassimo Ostiと同時代に活動し、素材の可能性を追い続けた職人兼デザイナーです。
パルマを拠点にしていたペレグリーニはオスティと深く親交を持ち、ときに制作現場でも協力し合っていたと言われています。
当時のイタリアでは、軍用や工業用の素材をファッションに転用する試みが始まりつつあり、ふたりはその最前線にいました。
彼らの関係を象徴するエピソードとして知られているのが、「Tela Stella」の発見です。
ボローニャ近郊を車で移動していたある日、ペレグリーニとオスティはトラックの幌布に使われていた厚手のキャンバスに目を留めました。
強度と撥水性を兼ね備え、なおかつ使い込むほどに色が落ちていく。
当時の服地にはなかった“経年変化”という価値を宿していたのです。
ペレグリーニは「これは服になる」と言い、サンプルを自ら解体して染料テストを行ったと伝えられています。
その結果生まれたのが、後にStone Islandの象徴となるTela Stellaシリーズ。
“服を新品の状態で完結させるのではなく、時間とともに完成するもの”
として捉える発想は、この時期に二人のあいだで共有されていました。
ペレグリーニはこの体験をきっかけに、素材研究にのめり込みます。
彼が注目したのは、表面の美しさよりも“構造そのもの”でした。
糸の撚り方、織り密度、染料の吸い込み方
服の根幹を決める要素を実験的に組み合わせ、着用とともに変化する「生きた生地」を生み出そうとしたのです。
オスティがグラフィックとテクノロジーで服を拡張していったのに対し、
ペレグリーニは素材の内側に潜む温度を見つめ続けた。
つまり、彼らは同じ目的地を目指しながらも、異なる角度から“素材と時間”というテーマに向き合っていたのです。
ペレグリーニの作品を見ていくと、その視点がよくわかります。
耐久性のある素材を使いながら、必ず手のぬくもりを感じる。
生地の段階で色を作るのではなく、製品が完成した後に染める「ガーメントダイ」も
彼が好んだ技術のひとつでした。
均一ではなく、少しのムラやトーンの揺らぎをあえて残す。
その“揺らぎ”を美しいと感じる感覚こそが、彼の服作りの根幹にあります。
マッシモ・オスティが「テクノロジーと服の融合」を進めていったのに対し、
ペレグリーニはよりクラフト寄りの思想を持っていました。
彼のアトリエは大規模な工房ではなく、限られた職人たちと少量生産で運営されていました。
そのため、今でも彼の服に出会うことはほとんどありません。
市場では「オスティの影響を受けた人物」として語られることが多いですが、
実際には“並走者”に近い存在だったといえるでしょう。
ふたりが共有していたのは、テクニックではなく誠実な素材への眼差し。
イタリアのウェア文化がモードではなく「服としての機能」を中心に再構築されていった時代、その背景にはこうした職人気質の人々が確かにいたのです。
現在、Guido Pellegriniの名は資料にもほとんど残されていません。
けれども彼の思想や設計は、当時のイタリアン・ウェア全体に確かな影響を与えています。
“工業製品としての服”と“手仕事の服”がまだ混ざり合っていた時代に、その中間を歩き続けた稀有なデザイナー。
recollectionとして彼を紹介する理由は、そこにあります。
服の歴史をたどることは、名の知られたブランドを並べることではなく、見落とされてきた職人の手仕事に光を当てること。
ペレグリーニという存在は、その象徴のような人物だと思います。
新北(@s.soichiro0211)